魏志倭人伝のつくり

魏志倭人伝の考察

魏志倭人伝、即ち三国志魏書倭人伝は、陳寿先生の好意によって記された有り難い文献である。

みな、この価値が分かっていない。理解できていない。無理もないが。

だからこのブログを始めた。魏志倭人伝と陳寿先生を再評価させる為に。

過去の記録は、後の世において都合が悪くなると消される。或いは改変される。
または単に正しく読んで貰えず、価値が低いと判断されたり、間違った訂正を施されたりする。
これは万国において世の常である。

陳寿先生は、それを重々承知していた。

そして、倭人にとても興味があった。

それは、倭人が驚くほど良い人々だったからである。

陳寿先生は依頼を受けたわけではなく、独自に史書を編纂したのだが、当時の倭国の出来事を記録できる立場にあった。

さらに、タイミング良く、倭国において歴史的転換点となる出来事が起こっていた。

陳寿先生は決意した。

「今倭国で記録できたとしても、後の世まで伝えることは難しいであろう。吾が中華の史書に、改ざんの余地がない形で記録して、後代の倭国の者達に自国の創世記の出来事を伝えてあげよう。」

しかし、陳寿先生がわざわざ愚者を装ってまで書いた魏志倭人伝は、笵曄に訂正され、間違った要約をされ、日本人にも未だ正しく読まれることはなく、このように罵られている。

「書くなら分かり易く書けよ。何だよ、水行十日陸行一月って。たどり着けねえじゃないか。使えねえなあ。」

魏志倭人伝は、笵曄を含め、そういう姿勢では絶対に読めないつくりになっているのである。

※ 陳寿は自身の評価が地に落ちようとも、
  真実を伝えることを優先的に考えて、
  崇高な使命感を持って、倭人伝を書いている。

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