魏志倭人伝の始めの30行を読んだ研究者は、その難解さから、「これ、訳分からんことが書いてあるわ。」と判断して、笵曄の後漢書倭伝に正解を求めた。
そして、魏志倭人伝の「邪馬壹國」を間違いとし、後漢書倭伝の「邪馬臺國」を正しいと認定したのだ。
本当にどうでも良い作業をしている自覚がなく、全く分かっていない。
陳寿は自分の史書に訳の分からないことは書かない。書くわけがない。
なぜ、ちょっと読んだだけで、そんな傲慢な態度をとれるのか。
仮に陳寿が生きていたら、陳寿に向かって、「あなたの文章は、訳が分からないですね。」と言えるのか。
読めるまで懸命に読めば良いではないか。
陳寿が書いた文章を、陳寿が意図した方法で読み、陳寿が伝えたかったことを読み取らずして、魏志倭人伝を読んだとは言えない。
「邪馬臺國」を正解とすることに賛同している研究者は、何も分かっていない。
その時点で、その研究者の成果は、ほぼ読む価値がないと分かる。
陳寿は、全ての研究者が疑問に思っている全てのことの答えを、魏志倭人伝に書いている。
研究者が読めていないだけだ。悲しいことだ。
末盧国と伊都国の比定も同様だ。
なぜ、松浦に上陸する必要があるのか。
一大国から末盧国は、對海国から一大国と同じ距離であると書かれているではないか。
方角は記述がないから自由である。
博多湾に入港して、福岡平野を南東方向にまっすぐ進めば良いではないか。
そして奴国だ。
なぜ、福岡市に比定したがるのか。
奴国の位置は、九州本島に上陸後、南東方向に600里と書いてある。
湾岸国から南東の内陸に向かって進んで、郡使が往来常駐する伊都国の、さらに南東にあると明記されているではないか。そこには筑紫平野がある。
陳寿を愚弄するにもほどがある。
情報を伝えようとしているのは、陳寿の文章である。
陳寿の倭人伝を読まずして、正解にたどり着ける訳がない。